過去に感染症の結核になってわかったこと。

今日はネコの話ではないので、興味のない方は
スルーしてください〜

新型の感染症について
日々世界中で大変なニュースが報じられていますが
日本では海外ほどの数のクラスター感染が生じておらず
自粛ムードもやや後退してきているように感じます。

ですが、まだまだ終息したわけではなく
ここからオーバーシュートが起こる可能性も残っています。
油断せずに危険がなくなるまでは、必要以上に恐れすぎず、
みんなでしっかり予防に努めたいですね。

なぜこんなことを書いているかというと…
私はくまおを迎えるだいぶ前のピチピチの20代の頃
「結核」という国の指定感染症と診断されました。
(現在はバリバリ健康です)

結核は今も存在する病気で、
感染症について、だれでもかかる可能性がある病気。
と多くの人に知っていただけたらと
忘れっぽい私がいまでも覚えてることを書きたいと思います。。
*しんみりした内容ではないので、少し加筆しました。

<結核とは>
いまもなお日本での患者数は年間1万6千人以上。
感染した方の約9割の人は無症状で他者にはうつしません。
残り約1割の人が免疫力が低下したときなどに発病し、
発病すると、最悪の場合は死に至る可能性もあります。
人にも感染する可能性のあるちょっとだけコワイ病気です。

なぜちょっとだけかというと、昔は不治の病と言われていましたが
今はきちんと治療をすれば治る病気と言われているからです。

いつものごとく、私の説明はアレなので
結核の詳しい情報は結核予防会のこちらから↓
https://www.jata.or.jp/about_basic.php

<経緯>
私の最初の症状は原因不明の咳が止まらず、
咳をしたあとに口の中が血のような味がするな…と気になり、
3件の病院に行きました。

どこの病院でも「気管支が傷ついたんでしょう。」
もしくは、「風邪です。」との診断。
症状を説明してもレントゲンは撮られず。。。

のちに、今は結核を正しく診断できる医師が少ないと知りました。
結核はレントゲンを撮ると診断が早い場合が多いそうです。

<症状>
どんな症状だったかというと
ある日、会社で仕事をしているとき
咳をして口を手で抑えたら、手のひらに血!?
こ、これは映画とかでみるヤツ???
と本当にビビリました。

<診断>
仕事を抜け出して、
たまたま会社の近くにあった結核予防会の病院にいきました。
その場でレントゲンの検査を受け、先生から
どうしてここまで放置してたんですか?と
「結核です」と診断されました。
これも映画?いやコントで見たような…デジャヴ感。

聞いたことはあるけど、まさか自分が結核?!と
その場でボーゼン。。。
「へ?」としか言えませんでした。
「飛沫感染なのでマスクは忘れずにしてください。」
「マスクしていれば他の人には伝染りません。」
「このまま指定の病院に隔離のためすぐに入院してください」と。

この時は病名を聞いた衝撃で、自分の事と感じませんでした。
なんだかよくわからない中、言われるままに手続き方法などを聞いて
待合室でマスクをしてお会計を待っていた時。

「あなたこんな所に座ってないで、あっちに座って!」
とシッシ!とジェスチャー付きで強めにベテラン看護師さんに言われたことで、
それまでボーゼンとしてた目が一気に覚めました。

私がはじめて日本で受けた差別でした。
それまでもアジアやヨーロッパに出張に行った時に
アジア人としての差別はよくありましたが、
国内でははじめて。
しかも結核を知らない方からの発言ではなく、
医療のプロのはずの方からの差別…
この時は笑えませんでしたが、今考えるとこれもコントかと。

自分が感染症になってみて、差別される側の気持ちを知りました。
マスクをして、うつさない状況での強い言葉は効きます。
私もだれかにうつされたかもしれないのに…と。

<入院生活>
病院から家に帰ることもなく、
そのまま専門施設のある病院に入院しました。

入院した結核隔離病棟内は、病室が10室。
うち、9部屋が男性患者の部屋でした。
そのくらい男性の感染者の比率が高い病気なのですね。

私は唯一の女性部屋で6人部屋。
「約3ヵ月、治療のため隔離生活」と宣告され、
ここでもボーゼン。
長い…

病院内では隔離病棟内での移動のみ。
売店に行くこともできず、ひたすらベッドの上で本を読んでダラダラ。
ある意味グータラしても怒られない生活だったのですが、
私は症状がすぐにおさまったので、とにかくヒマな入院生活でした。

家族や友人、会社の人を感染させてしまったのでは?
という不安や恐怖心との戦いでした。
うつしたていたらどうしよう…と後悔しても仕方ないことを
悶々と毎晩考えていました。

3週間後、喀痰検査の分析検査結果がでて、
(培養して検査を行うので、3週間かかってしまうのです)
私の病気は「非結核性抗酸菌症」という
結核の中でも人にうつさない菌だったと分かり、無事に退院!!
在宅での治療がOKとなり、結果3週間を隔離病棟を過ごした
貴重な経験となりました。

入院中は病気の症状よりも精神的な不安のほうが大きかったです。
きっと今回の感染症にかかった方もその不安と戦っているのではと思います。

<退院後>
退院して一番行きたいと思った場所は…コンビニです笑。
自分で選んで買い物ができることはこんなに楽しいことなんだなと。
そして、3週間の入院生活後に行った憧れのコンビニに行ったら…
店内がとにかく眩しく感じて、音が大きくて、様々なニオイのする場所に感じました。ふだんは感じなかったけど刺激の強い場所なんですね〜コンビニ。
普通に会社に通える。ことすら楽しく思えていました。
(今ではすっかりそんな気持ちすっかり忘れてましたが笑)

その後は、定期的に数ヶ月に1度病院に通い完治に至りました。

<まとめ>
ツラツラと私の隔離生活の話を書きましたが…
感染病はいつ自分が感染するかもしれず、
そうなったときに周り人の対応や反応はその方の
人柄や、性格がよく見える。ことを実感しました。

二度と経験したくない出来事ですが
感染した人もわざと感染病にかかる人はいません。
不安な患者さんに正しい知識を持って
寄り添えるひとが一人でも多くいてくれたらと思います。

何よりみんなで正しい情報をもって予防に努め、健康に過ごし、
ヒトもネコも差別のない社会で過ごせたら…

<世界結核デー
3月24日は世界結核デーということもあり
このようなブログを書きました。

2015年9月に国連で採択された
「持続可能な開発目標(SDGs)」の中で
17の目標の他に169のターゲットがあるのですが、
3番の「すべての人に健康と福祉を」の目標の中に
「2030年までに、エイズ、結核、マラリア及び顧みられない熱帯病といった伝染病を根絶するとともに肝炎、水系感染症及びその他の感染症に対処する。
という大きな目標も169の目標の1つに掲げられました。

わたしはただの猫の飼い主ですが、
自分の経験を通して、結核について
多くの方に正しく知っていただくことができたらと思い書きました。
今回の新型の感染症もいつか治療をすれば治る日がきっとくるはず。

いつだれが感染するか?わからないのが感染症の怖さ。
ですが、見えない恐怖に怯えるのではなく、
ただしく向き合い、予防をすることが大切だと思います。
そして、みんなが尊厳のある生き方ができ、
差別のない世界であるよう祈りたいと思います。

いつものごとく拙い文章ですが長い文章をさいごまで
読んでいただきありがとうございました。

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6 thoughts on “過去に感染症の結核になってわかったこと。

  1. ミヤザキヒロシ says:

    お世話になります。
    Sharing-Labories ミヤザキです。
    感染症 結核のお話、拝見させて頂きました。
    大変貴重な体験なお話でした。
    (今はお元気で良かったです。)
     長男が幼い時に喘息で生死を彷徨った経験があり、病は違えど考えさせられる内容でした。
    当たり前の日常に感謝し、自分に出来る事をきちんとして行きたいと思うし、子供達の自宅待機や在宅勤務が長く続き中弛み気味の今にとても価値のあるお話でした。

    1. kumaotokoguma says:

      ミヤザキさま
      コメントありがとうございます。
      お子さんが喘息で生死を彷徨った体験は想像を絶する大きな不安とのたたかいだったのではないでしょうか?
      とても心配でしたね…
      私自身も結核の後遺症により、いまも喘息と付き合いながら暮らしています。
      喘息を甘くみたら怖いとあらためて感じます。
      小さなお子さんには自宅待機が辛いでしょうし、色々と不安に感じる時間が長くなってくると、緊張状態にも疲れが出てしまいますよね。
      こんなときに何ができるのか?無力に感じることも多いですが、私にやれることをやっていこう。
      と逆に私の気が引き締まりました。ありがとうございます。
      この機会にお子さんと楽しい時間が過ごせると良いですね。

  2. うみたま says:

    🐈くまお母様🐈

    ❗️感染した人が悪いのではなく、悪いのは菌❗️

    ピッチピチの20代の頃に、大変さを身に持って体験されたのですね。

    ✨完治して良かったですね✨

    私は🐈くまお🐈くんに出会い、くまお母様の活動により、

    ✨✨正しい知識と正しい理解、意識が変われば自ずと行動も変わる✨✨と、学んだ1人でもあります。

    これからも、いろいろな事を学びながら🐈今、自分にできる事🐈していきたいと思います。

    くまお母様、これからもユルリとenjoyしながらベアーズ活動して下さいねー

    🐈応援しています🐈

    1. kumaotokoguma says:

      うみたまさま
      いつも応援ありがとうございます。
      なつかしの20代の頃の話でしたが、感染病が身近に感じられる今。
      あらためて予防の大切さを実感します。
      早く治療の薬が見つかると良いですね。
      活動がんばります!

  3. やっちん says:

    こんばんは。いつも楽しみに拝見しています。

    私も結核経験者です。
    と言っても全く自覚症状のない元気な患者でしたが・・・。
    15年くらい前に会社の健康診断のレントゲンで再検査になり、再検査のレントゲンでも肺に影➡CT検査でも所見あり、結核の疑いで病院を紹介される➡
    翌日の診察で結核で間違いないと思いますと言われ3か月入院しました。

    私の場合咳などはなく、そういえばやたらと痰が出るのは気になっていました。
    あとは入院して検温するまで知りませんでしたが、熱がありました。(全く自覚なし)
    くまお母さんは血痰が出ていたなんて、かなりしんどかったのではないでしょうか・・・。
    後遺症で喘息があるとの事、季節の変わり目で不安定な気候ですがうまくコントロールできますように陰ながら応援しています。

    結核と診断されたものの、痰からは菌が出ず、、次の検査で出なければ気管支鏡検査(辛い検査らしい)と言われた矢先に菌が見つかり、辛い検査を回避でき隔離病棟に移動しました。
    菌が出たので家族や会社の同じ部署の人など多くの人に検査を受けてもらいましたが幸い誰にもうつっていませんでした。心底ホッとしました。
    隔離病棟ではしばらくは売店にも行けず外にも出るのも禁止でした。培養検査の結果で少しづつ外を散歩できたり、外泊許可になり、、私も貴重な経験になりました。

    まさか自分がかかるとは思ってもいなくてとても驚きました。「・・・え?今時?」ポカーン・・・でしたね。その時決して過去の病ではないと知りました。
    思い当たる事といえば、やたらと忙しく残業ばかりで疲れて免疫が落ちていたのかなという事くらいで(^^;
    退院後は外来で定期的に検査して服薬を続けて結局トータルで1年くらいかかって終了したと思います。薬の数、多くなかったですか?
    入院中は薬の名前と効果を覚えさせられてテストとかありました。自覚を持って飲み忘れないようにする為でした。もう今は一つも覚えてないですが(笑)

    今回のコロナにしてもやはり免疫を落とさないようにするのはとても大事だなと思いました。
    隔離病棟で看護師さんがつけていたN-95というマスク、売り切れてるだろうな。。。

    多忙と思いますが、カワイ子ちゃん達とご無理のないようにお過ごしくださいね。

    1. kumaotokoguma says:

      やっちんさま

      そうだったのですね!
      まさか自分がと思いますよね。きっと同じ心境だったと思います。
      私は3週間で退院できましたが、3ヵ月頑張られたのですね。それは本当に大変でしたね。

      薬の多さは私もびっくりしました。
      そして大きくて飲みにくい(飲みたくない)薬もあったのを覚えています。
      薬の名前のテストはありませんでした!病院によって違うんですね!?
      おかげで私は薬名はまったく記憶していません笑
      自分が飲むものなので大切なことですよね。

      免疫力の低下は私もお医者さんに言われた記憶があります。
      日頃から体力や免疫力を低下させないように生活することの大切さを実感しますね。
      お互い健康に気をつけて過ごしていきましょうね。
      コメントありがとうございました。

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